「いじめの社会理論」内藤朝雄(柏書房)

蒸し暑い日が続きますね。皆さま、いかが御過ごしでしょうか?
このブログの(一応)メインコンテンツであるにも拘らず、かなり暫くぶりなブックレビューです。今回はこちら。


「いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体」内藤朝雄(柏書房)

・・・教職のレポートの課題図書だったのですが、何というか、これがまた面白くない。余り批判するのも好きじゃなんですけどね。

全体的に漂う厨二病臭といい(いじめの筋書には3通りあり、それぞれ「全能の主人と完全にいいなりになる奴卑」「全能の破壊神と崩れ落ちる屠物」「全能の遊戯神と変形する玩具」である、とか。どうしてこの3パターンに分類されたのかもよくわかりませんが)、自分の考え方が無条件に正しくて他の論は間違っている的な記述(例えば、いじめ論でよく争点になるのが「いじめられる方が悪い」だと思うのですが、それは最初から間違っていると決めつけられている・・・何か一言くらいは触れておくべきでは)が多々見られたりとか、「いじめは学校における話だけではない、市民社会でもいじめは起きる」と前置きしながら「学校の倫理と市民社会の倫理は違う、だからいじめが起こる」など「学校という特殊な場」においていじめが発生するメカニズムについて論じ、ずっと学校の話が続いたかと思いきや突然DVの話に変わり、最後に理想的な学校制度の話になるとか。何これ?

「いじめはどんな社会にもある。絶対になくならない」と言いつつ「いじめの発生しない学校」を描いている点も非常にナンセンス。
筆者の理想的な学校制度は、学校に行くことが強制されず(ここまではまだ良い)、義務教育の「義務」が次の3つに限定されているそうです。
1. 「生活の基盤を維持するのに必要な日本語」、「お金をつかって生活するのに必要な算数」、「身を保つために必要な法律と公的機関の利用法」の3つに内容が限定され、これらの知識を習得しているかどうかをチェックする国家試験を子どもに受けさせる保護者の義務
2. 国家試験に落ち続けた場合には、教育チケットを消化させる保護者の義務
3. 国が国家試験を行い、またさまざまな学習サポート団体や教材を利用するためのチケットを国や地方公共団体が人々に配る義務
教育チケットとは教育のみに利用できる特殊貨幣で、義務教育用は国家試験に受かるまで無制限に与えられ、権利教育用は収入に対して反比例的に行政から配分されるものだそうです。
他にも色々とあって、とても全部を書き写す気がしないのですが、とりあえず思うのが「これどうやって実現するの?」。いや、確かに「学校に縛り付けられない、仲良しを強制されない」のは大事だとは思いますけど、あまりにもファンタジーすぎる。これまで経済の話とかしてたか? 思いつきで喋ってないか?
それに、いくら学生のうちに集団に縛り付けられないようにしたからって、一生嫌いな人と付き合わなくて良いわけでもないですしね。「いじめられて良かった」まで言いませんけど、やっぱり学校嫌だって言っている中で学んだものって何かあったと思いますけどね、私は。
「義務教育がこれだけで良い」根拠も、少なくとも私には理解できない。勉強する気が無い人間が、授業を自由に選択できるようになったからって学習意欲が上がらないのは、大学生を見ていたらわかりますよねー。
学歴重視をやめて技能系の資格を得、有利な条件で職につくシステムってのもここで初めて出てくるし。これ、いじめと何か関係あるの?

むむむ・・・。
どうにも、どうにもなぁ。
「いじめ」という曖昧な話ですから、数学みたいにパキっと証明がなされないのも仕方ないとは思うのですけど、「これはこういう仕組みなんだ。ほら、事例に当てはまるだろう」だけだと、ちょっと何か納得するには物足りないですよね。

よーわからん本でした、はい。

いより

About Morimoto Iyori

東京暮らし1年目の大学生です。 岡山出身。古典文学好き。地理学専攻予定。 読んだ本、日常生活で発見したことなどを書き綴ってゆく予定です。
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