どうも、いよりです。
夏休みになりました。有意義な過ごし方をしたいです。
さて、前回(「ギリシア社会と同性愛」)から結構な間が空いてしまいましたが・・・。
今回は「中世ヨーロッパ社会と同性愛」について、まとめてみたいと思います。
<古代から中世にかけて>
ローマ帝政初期においては、売春というものは男女ともかなり複雑に発展しており、性別、年齢、性交時の役割などによってそれぞれ異なった言葉があるくらいでした。衣服の色と種類によって、受け手(catamiti)と仕手(exoleti)がわかるようになっていました。
ローマ帝国初代皇帝のアウグストゥスが、売春を生業とする少年の為に法定休日を与えた、という史料があります。また、五賢帝の1人であるハドリアヌスにはアンティノオスというギリシア人の恋人がいた(ちなみにハドリアヌスが「受け」)という資料もあります。前回触れたように、古代においては身分の高い人が同性愛の「受け手」となることは悪だと看做されていました。カエサルもビテュニア(小アジア北部の国)の王ニコメデスとの男色関係(カエサルが「受け」)でかなり評判を落としたと言われます。しかしローマ帝政初期のこの偏見は同性愛の受け手であることを自他ともに認める皇帝らが輩出した結果、下火になりました。
ローマ帝政末期の危機において、政権中枢がガリアなどの属州出身の軍人・貴族に取って代わられ、神権的専制政治(絶対化)がすすむにつれて、中央による個人の私的生活側面への介入・干渉が目立つようになりました。390年のテオドシウス法典で初めて男性に売春を強要した場合は死罪、と規定されます。また世間の風潮もゲイ否定の方向へすすみます。
「ローマ都市社会の解体・より狭量な政治的・倫理的指導者層による支配が、性的自由の制限をもたらした原因であるということができる。そのローマを超えて唯一生き残った組織であるキリスト教は、一部の神学者を通して、この後期ローマ帝国のかなり偏狭な道徳観をヨーロッパに伝えるパイプになったにすぎない」と言ったのは、本人もゲイであるジョン・ボズウェルという学者です。
同性愛に対する人々の態度にキリスト教が及ぼした影響は、少なくとも中世初期においては大きくありませんでした。旧約聖書の創世記に見られるソドムの市の破壊とソドミーとの関連性を検討すると、古くさかのぼるほど、同性愛的行為の流行が神の怒りに触れたのだとする見方はとられなくなるようです。初期キリスト教禁欲主義者たち(パイプになった人たち)がその解釈を変えていったのです。
<中世初期>
西ゴート王国(スペイン)は650年に同性愛行為を行う者に去勢を課す法を制定しましたが、当初教会はその試みに非協力的だったようです。6世紀前半の『ベネディクトス会則』(聖ベネディクトスが定めた修道規則)は、むしろ同性愛行為が教会で広まっていた事実の裏返しとして読むことができます・・・曰く、「若者同士が一つのベッドで寝るときには、間に年長者が寝ること」「夜は明かりをつけて寝ること」「寝るときには服を着て寝ること」などなど。
<中世中期>
11世紀から12世紀、都市の復活とルネサンスによってイスラムを通じ古代の学問が流入、同性愛への寛容が強まり同性愛文学が開花します。この時代、聖職者間の同性愛を声高に批難した聖職者が教皇から「そんなに目くじらたてるようなことでもないですよ」、とやんわりたしなめられていたり、修道院の院長が修道院内での男性間の愛を正統化しようとしたりしています。
また、この時代は世俗でも同性愛者の例が多いです。例えばリチャード王1世は十字軍以前にフランス王フィリップ2世と食事もベッドも共にしたと言われます。
<中世後期>
1178年の第三回ラテラノ公会議では、金貸し、異教徒、ユダヤ人、ムスリムと並んで同性愛者への制裁が初めて定められました。十字軍活動によってかきたてられたイスラム的な性の慣習(とヨーロッパ人が決めつけたもの)への反発が、同性愛への敵意とすりかわっていったようです。このような状況から、次第に同性愛VS異性愛という論争が出現しはじめます。ローマ=カトリックのみならず、ギリシア正教においても同性愛は獣姦と同じ類として看做されるようになります。
特に13世紀以降、ヨーロッパ社会では社会の少数派・弱者(異教徒、異端、ユダヤ人など)にレッテルを貼る動きが出てきます。同性愛者もその攻撃の対象となりました。フランスの地方慣習法、カスティリヤ王国の法、イタリア都市法などで同性愛取り締まりの法令化がすすみました。「市民のプライベートな生活をも次第に規制しようとする実質的な権力を持った『国家』の出現がその原因である」とボズウェルは述べています。
14世紀初め、ダンテは「神曲」の<煉獄編>において、ソドミーを煉獄の最上部、色欲におぼれた人々とともに位置させています。時代の空気は、確実に変化していったのでした。
<今回のまとめ>
同性愛に対する弾圧は12世紀後半から始まり、13・14世紀を通じて定着しました。その後、同性愛はヨーロッパ社会最大のタブーとなったのです。
ところで・・・
ギリシア・ローマの文化を自らの母体とあがめた西ヨーロッパ人は、これらの時代の同性愛への寛容さだけは受け継ぐことがありませんでした。この極めて意図的な選択はどのようにして起きたのか? ・・・答えは未だ不明だそうです。
そんなこんなで。
いより