どうも、ご無沙汰しております・・・。
後期授業が始まり、色々と慌てふためいているいよりです。
最近どうにも暇がない。心のゆとりがないというか、常に何かしていないと落ち着かないのです。無駄に予定を詰め込んでみたりしてしまう。
たまにはゆっくり本でも読む時間が欲しい、と思い、以前神保町で100円にて購入したまま積んでいた「生の短さについて」を読んでみました。
セネカって言うから、何となく難しそうかな? って身構えてしまったのですけど、読み始めたら意外とサックリ読める。話も簡潔でわかりやすい。ああ、そうかぁ、納得。よく文字で表してくれました! っていう、そんな感覚。何というか・・・俗っぽくないエッセイ?
岩波文庫のは「生の短さについて」、「心の平静について」、「幸福な生について」、この3本がセットで1冊の中に収録されています。
「生の短さについて」・・・1番大事なことをやりなさい、という話。持っている時間のうち、どれだけを浪費している? どれだけを他人の為に使っている?自分が大きな歴史の流れの中にいることを実感し、本によって過去から学びなさい。また、未来の死を恐れないようにしなさい。偉大で崇高な生き方をしなさい。
「心の平静について」・・・不安であるから、落ちつかず、意味もないことに時間を浪費してしまうのである。自分を信じなさい。自分にとって、最も良い生き方をしなさい。物事の本当の価値を見極めなさい。まぁ、時には息抜きも必要だけれどもね。
「幸福な生について」・・・快楽は徳に付随して発生するものであるから、快楽を求めるのではなく、徳を求める生き方をするべきである。「そういうお前は贅沢な暮らしをしているではないか」という批判があるが、そのようなことを言う人間は自分のことを顧みず、また言葉の真意を知ろうとしない、悪人である。「このような生き方をするべきだ」という哲学者自身もまた、そのように生きることを希求しつつ未だ完全には実行し得ない存在なのだ。
セネカというのはストア派哲学者なのですけど、読んでいて何となく吉田兼好を思い出しました・・・。周囲をバカにしきった態度で、偉そうに厳しい人生論を語るわりに、実際の生活が合ってない。それはそれで、理屈っぽく説明しようとする。いや、好きですけど、彼らのそういうところ。
「幸福な生について」で自分の生活が「質素・倹約」ではないことについて弁明している部分で、「私はすでに悪人たちの気に入らないところに達している。これは私が正しい証拠である」とか「大声を上げて徳を憎んだり攻撃したりするのは、結局は諸君の立派な希望を放棄することになるからである。諸君は私に何の損害も加えられず、祭壇を覆す者たちが、神々に何の損害も加えられないのと同じことになる」とか、もう、ツボすぎて。何だよこの理論! っていう。
自分も小学校の頃とか周囲がバカにしか見えなかった時期があって(まぁ私も大概なバカですけど、相対的にね)、そういう時にこの本を読んだら何か変わったかもなー、と思ったり。
もっと若いうちに読みたかった本の1冊(他にはヘッセの「車輪の下」とか)になったことは間違いないです。将来、子どもの手の届く場所に置いておきたい。私は、所謂「可愛くない」子ども大好きですので。
いより