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Category Archives: book review
「権利のための闘争」イェーリング
権利のための闘争 (題辞ーー闘争において汝の権利=法を見出せ) 「権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である」 ・・・闘争は権利=法の本質である。何故なら全ての権利=法は闘い取られたものであるから 「自分の権利が侵されるということは、自分の人格までもが侵されるということを意味する」 ・・・少額の利益のために膨大な費用をかけてでも訴訟する、盗んだ物を返せばそれでいいとはならない 「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である」 ・・・人間は肉体的のみならず倫理的なものとして生存する、人間は自らの生存条件に対する攻撃を跳ね返す義務がある(権利によって抽象的に保障されているだけでは不十分であって、権利主体がそれを具体的に主張することが必要) 「権利の主張は国家共同体に対する義務である」 ・・・法規範に実行を伴わせる必要がある。法律が適切に防衛されなければ正直者が馬鹿を見ることになる、無法状態を放っておくことは「裏切り」である →「権利者は自分の権利を守ることによって同時に法を守り、法律を守ることによって同時に国家共同体の不可欠の秩序を守る」、自己の権利を主張するということは気高いこと →→権利=法の理念をもっぱら理念そのもののために実現することが国家の最も神聖な義務であり、かつ、国家の利益となる 法的に権利を侵害されたならば恐れずに主張するべきである、何故ならそれが自分のみならず法全体、国家共同体全体の為になるから。また、現代の法の中で権利=法の理念を実現していないもの(=人々に不公正を押し付けているもの)は闘争によって改正されていくべきである。 何が正しいか・正しくないかは自分で判断して、正しい規則への違反や正しくない規則に対しては積極的に闘争してゆこう、という話だと思った。 自分の権利感覚を研ぎすましておくことが、社会全体のためになるんですよね。 実際に実行するのは難しいかも知れないけれど、「バカを見ている正直者」が読むと頭の中がスッキリする、そんな本。 いより
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「生の短さについて」セネカ
どうも、ご無沙汰しております・・・。 後期授業が始まり、色々と慌てふためいているいよりです。 最近どうにも暇がない。心のゆとりがないというか、常に何かしていないと落ち着かないのです。無駄に予定を詰め込んでみたりしてしまう。 たまにはゆっくり本でも読む時間が欲しい、と思い、以前神保町で100円にて購入したまま積んでいた「生の短さについて」を読んでみました。 セネカって言うから、何となく難しそうかな? って身構えてしまったのですけど、読み始めたら意外とサックリ読める。話も簡潔でわかりやすい。ああ、そうかぁ、納得。よく文字で表してくれました! っていう、そんな感覚。何というか・・・俗っぽくないエッセイ? 岩波文庫のは「生の短さについて」、「心の平静について」、「幸福な生について」、この3本がセットで1冊の中に収録されています。 「生の短さについて」・・・1番大事なことをやりなさい、という話。持っている時間のうち、どれだけを浪費している? どれだけを他人の為に使っている?自分が大きな歴史の流れの中にいることを実感し、本によって過去から学びなさい。また、未来の死を恐れないようにしなさい。偉大で崇高な生き方をしなさい。 「心の平静について」・・・不安であるから、落ちつかず、意味もないことに時間を浪費してしまうのである。自分を信じなさい。自分にとって、最も良い生き方をしなさい。物事の本当の価値を見極めなさい。まぁ、時には息抜きも必要だけれどもね。 「幸福な生について」・・・快楽は徳に付随して発生するものであるから、快楽を求めるのではなく、徳を求める生き方をするべきである。「そういうお前は贅沢な暮らしをしているではないか」という批判があるが、そのようなことを言う人間は自分のことを顧みず、また言葉の真意を知ろうとしない、悪人である。「このような生き方をするべきだ」という哲学者自身もまた、そのように生きることを希求しつつ未だ完全には実行し得ない存在なのだ。 セネカというのはストア派哲学者なのですけど、読んでいて何となく吉田兼好を思い出しました・・・。周囲をバカにしきった態度で、偉そうに厳しい人生論を語るわりに、実際の生活が合ってない。それはそれで、理屈っぽく説明しようとする。いや、好きですけど、彼らのそういうところ。 「幸福な生について」で自分の生活が「質素・倹約」ではないことについて弁明している部分で、「私はすでに悪人たちの気に入らないところに達している。これは私が正しい証拠である」とか「大声を上げて徳を憎んだり攻撃したりするのは、結局は諸君の立派な希望を放棄することになるからである。諸君は私に何の損害も加えられず、祭壇を覆す者たちが、神々に何の損害も加えられないのと同じことになる」とか、もう、ツボすぎて。何だよこの理論! っていう。 自分も小学校の頃とか周囲がバカにしか見えなかった時期があって(まぁ私も大概なバカですけど、相対的にね)、そういう時にこの本を読んだら何か変わったかもなー、と思ったり。 もっと若いうちに読みたかった本の1冊(他にはヘッセの「車輪の下」とか)になったことは間違いないです。将来、子どもの手の届く場所に置いておきたい。私は、所謂「可愛くない」子ども大好きですので。 いより
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「豊かさとは何か」暉峻 淑子
おはようございます。 クーラーをつけると体調が悪くなるので、我慢できるギリギリまで汗をかいてから冷水シャワーを浴びるのが最近お気に入りです。 今回は「豊かさとは何か」 うちの大学の教授にオススメされた本です。 本としては、かなり古い。1989年に第1刷発行、となっていますから。日本の比較対象として主に取り上げられている事柄も「西ドイツ」のものですし。 「日本は豊かな国である」。数字から見れば、確かにそうです。テレビなどで見聞きする第三世界の国々の生活と比較しても、我々の生活は豊かである、と言わざるを得ない。特に、この本に書かれている時代の日本はバブル崩壊前で、ブランドものの衣服とか、海外旅行だとか、物だって直ぐに捨ててしまう、そういった俗物的な「豊かさ」が満ちあふれていた。 現代の若者はお金を余り持っていない、使わない、ということがよく言われます。でも、それって逆に言えば、お金さえ持っていればその時代に逆戻りしてしまう、ということ? 「オタクが日本経済を救う」なんてこともよく言われますが、例えばAKB48のCDに付属したチケットを集めるために何枚もCDを購入するような方々、彼らは景品に釣られて必要以上に大量消費したりしているわけでしょう。その大量のCDを生産するために、どれだけの資源が使われているのか? ハッキリ言って、虚業。このような現状は、本当に「豊か」と言えるのか? こう考えると、豊かさというのは、お金を持っている、持っていないの問題ではない、と考えられます。 こうした大量消費が行われている一方、日本では、ワーキングプアとか、病気などで失業した方々の再就職先が見つからないといった問題も発生しています。保育園や老人介護施設の不足といった問題もあります。しかし現在、新自由主義(ネオリベラリズム)、政府はなるべく経済に介入するべきではないといった考え方の台頭により、公共事業や公共サービスなどの削減が行われています。 生活に安心できないので、お金を貯める。その為に働く。そうした人生は豊かとは言えない、と著者は主張します。 緑に囲まれ、余暇を楽しむゆとりがあって、住居にも教育にも健康にも老後にも不安がない。そうした環境の中で、真に人間らしい生き方が可能なのではないか。経済活動も、その基盤となる国民の生活があって初めて安定するものなのではないか。 パイを大きくするには、まず大きなお皿が必要、ということでしょうね。 公共事業や公共サービスの非効率性などはよく指摘されますが、なくてはならないものであることは確か。 資本家が投資に回す分、労働者が報酬として受け取る分、社会を改善してゆくために国に納める分・・・最適な富の配分バランスって、どのようなものなんでしょうね? いより
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「フォイエルバッハ論」エンゲルス(森宏一訳)
あーつーいーしーぬー 先日まで実家(岡山)に帰省しており、そのついでに京都観光なぞも楽しんで参りました、いよりです。 世間は夏コミらしいですが・・・特に行く用事もないので家でじっとしています。 前に言っていた「フォイエルバッハ論 」読みました。 フォイエルバッハ論 (新日本文庫 C 2-2) 3回くらい読み直して、ようやく何となくわかった、かな? って感じです。 例のごとく要点をまとめてみます。 ・・・形而上的 現実に存在するものは何であるか? を知ることが課題 事物をできあがっているものとして受け取り、解釈することが課題(=それがどうやってできたのか、ということを探る以前の段階である)。 科学技術が余り発展していなかったため、かなり妄想補完的な要素が含まれる。 ・・・観念論 「現存する全てのものは、必然的に産み出されたものである。 必然的であるものは合理的であるので、現存するものは理性的である。 よって、我々が現存するものを悪と認識するならば、それは我々の方が間違っている」 ただし 「現実的なものは歴史的な発展に伴い必然性を失い、非現実的になっていく。 従って全てのものは時が経つにつれて存在できなくなり、より高度な段階の新しいものと入れ替わる」 →世界は「相対的な保守性」と「絶対的な革新性」からなる。 →→「これが絶対的真理だ!」 と叫んでしまったがために「絶えず革新されていく」はずの世界が「絶対的真理が得られた以上先に進む必要はな」くなる、という大矛盾が発生。結局ヘーゲルは「現在の君主制って最高じゃね」に落ち着く。 →→→ここで、「そうだそうだ王様万歳!」という右派と「更なる革新を!」という左派(=青年ヘーゲル派)との対立が勃発する。 ☆「観念論」とは、本源的なものを精神であるとする立場。精神があって、その後に物質が存在する。神という意志が世界を創造した。神は永遠の昔から存在する。 逆に「唯物論」とは、本源的なものを自然であるとする立場。物質があって、その後に精神が存在する。人間という物質が神を創造した。世界は永遠の昔から存在する。 ・・・唯物的? 脳があるから思考できる。つまり、自然(=物質)が先に存在しており、その上に人間が存在する。 よって、人と人との結びつきとしての「愛」を宗教として高めるべし。神(=精神)よりも自然的な性欲、友情といった「愛」の方が本源的なものであるからだ。 →誰でも幸せになりたいよね、理性による自制と「愛」による思いやりで皆ハッピーじゃん、というのがフォイエルバッハの道徳。 →→マルクス・エンゲルスに言わせれば、そんな甘っちょろい道徳で幸福がもたらされるわけねぇだろ! といったところ。フォイエルバッハの「自然」や「人間」といった概念は抽象的なものだし道徳で何とかしようとしちゃってる辺りからして唯物論とは言えない、あとヘーゲルさんdisるんならきちんと批判してからにしてくださいね、簡単に片付けちゃうのはいかがなもんでしょうか、というのが彼らのフォイエルバッハに対するおおよその批判。 ★どうしてフォイエルバッハがそんな方向に行っちゃったのかに関しては、本書参照。 ・・・史的唯物論 人間は、自然と同様、意識的に求められたものである社会からも、その存在を規定されている。 ブルジョアジー、プロレタリアートといった社会における経済的に異なった階級ごとの動機が、歴史的変動をもたらす。 … Continue reading
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「いじめの社会理論」内藤朝雄(柏書房)
蒸し暑い日が続きますね。皆さま、いかが御過ごしでしょうか? このブログの(一応)メインコンテンツであるにも拘らず、かなり暫くぶりなブックレビューです。今回はこちら。 「いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体」内藤朝雄(柏書房) ・・・教職のレポートの課題図書だったのですが、何というか、これがまた面白くない。余り批判するのも好きじゃなんですけどね。 全体的に漂う厨二病臭といい(いじめの筋書には3通りあり、それぞれ「全能の主人と完全にいいなりになる奴卑」「全能の破壊神と崩れ落ちる屠物」「全能の遊戯神と変形する玩具」である、とか。どうしてこの3パターンに分類されたのかもよくわかりませんが)、自分の考え方が無条件に正しくて他の論は間違っている的な記述(例えば、いじめ論でよく争点になるのが「いじめられる方が悪い」だと思うのですが、それは最初から間違っていると決めつけられている・・・何か一言くらいは触れておくべきでは)が多々見られたりとか、「いじめは学校における話だけではない、市民社会でもいじめは起きる」と前置きしながら「学校の倫理と市民社会の倫理は違う、だからいじめが起こる」など「学校という特殊な場」においていじめが発生するメカニズムについて論じ、ずっと学校の話が続いたかと思いきや突然DVの話に変わり、最後に理想的な学校制度の話になるとか。何これ? 「いじめはどんな社会にもある。絶対になくならない」と言いつつ「いじめの発生しない学校」を描いている点も非常にナンセンス。 筆者の理想的な学校制度は、学校に行くことが強制されず(ここまではまだ良い)、義務教育の「義務」が次の3つに限定されているそうです。 1. 「生活の基盤を維持するのに必要な日本語」、「お金をつかって生活するのに必要な算数」、「身を保つために必要な法律と公的機関の利用法」の3つに内容が限定され、これらの知識を習得しているかどうかをチェックする国家試験を子どもに受けさせる保護者の義務 2. 国家試験に落ち続けた場合には、教育チケットを消化させる保護者の義務 3. 国が国家試験を行い、またさまざまな学習サポート団体や教材を利用するためのチケットを国や地方公共団体が人々に配る義務 教育チケットとは教育のみに利用できる特殊貨幣で、義務教育用は国家試験に受かるまで無制限に与えられ、権利教育用は収入に対して反比例的に行政から配分されるものだそうです。 他にも色々とあって、とても全部を書き写す気がしないのですが、とりあえず思うのが「これどうやって実現するの?」。いや、確かに「学校に縛り付けられない、仲良しを強制されない」のは大事だとは思いますけど、あまりにもファンタジーすぎる。これまで経済の話とかしてたか? 思いつきで喋ってないか? それに、いくら学生のうちに集団に縛り付けられないようにしたからって、一生嫌いな人と付き合わなくて良いわけでもないですしね。「いじめられて良かった」まで言いませんけど、やっぱり学校嫌だって言っている中で学んだものって何かあったと思いますけどね、私は。 「義務教育がこれだけで良い」根拠も、少なくとも私には理解できない。勉強する気が無い人間が、授業を自由に選択できるようになったからって学習意欲が上がらないのは、大学生を見ていたらわかりますよねー。 学歴重視をやめて技能系の資格を得、有利な条件で職につくシステムってのもここで初めて出てくるし。これ、いじめと何か関係あるの? むむむ・・・。 どうにも、どうにもなぁ。 「いじめ」という曖昧な話ですから、数学みたいにパキっと証明がなされないのも仕方ないとは思うのですけど、「これはこういう仕組みなんだ。ほら、事例に当てはまるだろう」だけだと、ちょっと何か納得するには物足りないですよね。 よーわからん本でした、はい。 いより
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「右翼と左翼」浅羽通明(幻冬舎新書)
どうも、第二回目の書籍紹介です。 今回は「右翼と左翼」。 右翼と左翼 (幻冬舎新書) ・・・もっと女子大生らしく小説とかでいくべきなんでしょうかね。いや、でも、kenic先生が私に任せたってことは、つまり私の好きなようにやることを期待されているんですかね? そうなんですかね? 前回の軍事的知識もそうですが、やっぱり私って知らないことが多すぎると思うんですよ。 菅総理が退任するとか何とかってニュースになっていたりしますが、もう、告白しちゃうと「自民党」と「民主党」って何が違うの? とか、全く知らないですから・・・。 「え、なに、『自由』で『民主』なのと『民主』だけ? 自由もついてた方が良くない? 」みたいな。 言い訳させて貰えるならば、まだ選挙権も持ってないし、ちゃんと働いたりとかもしていないから納税なんかも意識したことがないわけで、政治と日常生活がどう結びついているか? とか、実感する機会がなかなか無かったんですよね。 こういうのって私だけなのかなぁ・・・18歳で成人にするとか何とかって噂を耳にしたんですけど、ウッカリこんな18歳がいたりするんで、気をつけなきゃいけないと思いますよ。いや、私がダメなだけなんですけど。ごめんなさい。 で、本題へ。 漁船をぶつけられたりとか反日デモなんかをされると、そりゃ流石に良い気はしないですし、外国人が日本人になれるシステムが存在している以上、外国人が日本国民の意思決定に参加するのは何かおかしいんじゃないかな、と思っています。天皇陛下がいらっしゃることで国がまとまっている、というのも、わりとその通りだと思う。 (脱線しますが、公立の学校の教師は「君が代」を歌うべきだと思うんですよね。彼らは将来の日本国民を育成するためにいるんですよね? あと、生徒も日本国民以外になれるだけの能力、外国から必要とされるだけの能力を備えていないうちは、例え不本意であれ生まれてしまった国より他に存在を認めてくれるところはないので、そこのルールに従うしか無いと思うんですが。 よくわかってないので勝手なことを言っています。詳しい方、どうかコメントで御教授をお願いします) でも、だからと言って、今いきなり憲法を変えて再軍備するのはどうなの? それから、何でもかんでも自己責任にしちゃうのもどうなの? 累進課税とか社会保障とかは必要なんじゃないの? あ、でも、真面目にやった人が損をするのは嫌かなぁ・・・。 普段、私はこんなことを考えているわけですが、これって「右」なの? それとも「左」? そもそも「右」と「左」って、何? 考えだすと気になって止まらない。 正直、「右」の本とか「左」の本とかって難しくて分厚くて高そうですよね。何より古そうだし。現在には当てはまらないんじゃないの、っていう。別に、そんなに本格的な勉強がしたいわけでもないし。 そんな中で、これは適度に易しく適度に詳しく、普通に新書だし、amazonでふらっと買ったにしては中々に良かったと思います! この本は、「何故『右』と『左』がよくわからなくなったのか? 」をテーマに、「右」と「左」の起源とその歴史的変遷、そして「右」も「左」も不明瞭な現在、「極右」と「極左」それぞれの社会のイメージ、生きづらさの中「右」「左」イデオロギーにアイデンティティを求めようとする少年(ちょっと耳が痛い)などを解説しています。 あんまり本の内容をバラしすぎるのも良くないと思うのですが、それで前回余りにも内容が無くなってしまったので、どうしたものでしょうか・・・。 自分の頭の整理を兼ね、「右」と「左」に関するポイントだけまとめてみます。 <「右」と「左」の基本姿勢> 右・・・保守、反動、漸進、国粋主義、民族主義、ファシズム、超国家主義、反共主義、伝統、階層、秩序、上流階級 →人間の感情・情緒を重視し、威厳に満ちた歴史あるものを貴く思って憧れる 左・・・革新、進歩、急進(含む過激、革命)、社会主義、共産主義、無政府主義、(伝統的権威主義的支配が行われているところでは)自由主義、(同じく)民主主義、理性、平等、自由、下層階級 →人間が本来普遍的に持つ「自由」「平等」の権利を国際的に啓蒙することにより、政治や経済の仕組みを進歩させる <「右」か「左」かよくわからないもの> … Continue reading
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「戦争の常識」鍛冶俊樹(文春新書)
このブログの仕組みに慣れる為にも、早速、先日読み終わったばかりの本の紹介をば。 「戦争の常識」鍛冶俊樹(文春新書) ・・・最初から「戦争」だなんて、何かすみません。あぁっ、ドン退かないで!! 私、ミリタリーとか全くわからないんです。 つい最近なんですけど、友人の影響で戦争映画を観だして(映画についても、そのうち紹介しますね)。 深いなぁ、格好良いなぁとは思いつつ、知識が足りない所為で理解できないことが多々あり・・・。 例えば「プラトーン」の村の襲撃シーン。「一個連隊を養えるだけの米があった」って台詞(細かくてすみません)があるのですが、「一個連隊」って、つまり、具体的に何人ぐらいなのよ? 他にも武器名、M-14とかAK-47とか何となくは聞くんですけど、その違いがわからない。 それから階級。「鋼の錬金術師 」読んでましたけど、結局、どれが上か下かとかって、最後までハッキリと覚えられなかったんですよね・・・。 本書より引用 ある時、映画館で高校生達が大尉と少佐がどちらが偉いのか分からないらしいのを見て驚いたが、このぐらいの知識もないとなると、単に戦争映画が観賞できないどころか、外国の小説も新聞も読めなくなるし更には国際社会で大恥を掻くことにもなりかねない。 うー、ごめんなさい! でも、私だけじゃないってわかって、ちょっと安心したかも・・・。 この本は、「戦争」という、考えてみれば何だか漠然としているものを、 「国防」「軍隊」「兵隊」「陸軍」「海軍」「空軍」それぞれの視点から眺めるための、基本的な知識を提供してくれます。 そこから導かれる、現在の「戦争」についての分析と未来の「戦争」についての考察。 そして最後に「自衛隊」・・・。 何というか、いかにもなタイトルにも拘らず、書かれていることは全く「マニア臭さ」が感じられません。 「九条なんて改正するべきだ」なんていう右翼っぽい本でもない。 淡々と述べられているのは、本当に基礎的な知識。つまり、「常識」。 ですので、誰しも読んでおいて損はないと思います。 特に私みたいな「軍隊とか兵器とか、ちょっと興味があるけど全く知識がない」という方には、この本は絶対にオススメです! 先に挙げたような初歩的な疑問は、この一冊で全て解決できます。 他にも歴史が好きな方とか(勝手なイメージなんですけど歴史好きな方って戦争好きな感じするんですよね)、現代社会や未来社会に興味がある、という方にも是非。 歴史的な戦闘方法や武器の変遷とか、イージス艦や核戦争の可能性などに関しての話題も充実しているので。 こんな知識があれば、考えがより深まること間違い無しです! 個人的に一番タメになったのは、「徴兵制」と「志願制」の違い。「志願制」は不公平だっていうのも一理あるんですが、「志願制」ならではのメリットがあったりもするんですね。 ちょっぴり知識が深まったところで、時間ができたら、もう一度DVDを見直そうかな? 新しい発見がありそう・・・。 というわけで、「戦争の常識 (文春新書)」の紹介でした! 本の紹介というよりは、むしろ宣伝みたいになっちゃいましたが・・・。 どうにも感想って、うまく書けないんですよねぇ。 これから頑張って、上手になりたいです! ・・・なります! いより
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