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Monthly Archives: July 2011
近代イギリス社会と同性愛
どうも、いよりです。 腐ってはいませんよ。念のため。 前々回:ギリシア社会と同性愛 前回:中世ヨーロッパ社会と同性愛 「『ヨーロッパにおける同性愛』シリーズ」最終回です。 今回は、近代イギリス社会における同性愛について見ていきます! イヴ・K・セジウィックのホモソーシャル論によれば… ヨーロッパ近代社会は、家父長制に見られるような極端な男性中心の社会であるという特徴を持っています。これを支えたものが、ヨーロッパ近代社会に見られた「男性同士の社会的な絆・結びつき(=ホモソーシャルな関係)」です。これは具体的には、男同士の友情、女性嫌悪、師弟の絆、権力、ライバル意識などの形をとって現れ、男性による社会支配構造を正統化しました。 特に支配に関わる公的領域では、精神的・制度的な男性同士の連帯関係が推奨・強調され、ホモソーシャルな関係の中にもともと見られる男性間の性的欲望を表に出さないこと、男性間の性愛つまり同性愛をスケープゴートとして抑圧し排除してゆくことで支配構造の安定を保つという仕組みになっていました。 そこで近代社会のホモソーシャルな関係は、少なくとも社会の公的領域において、同性愛への極端な恐怖と嫌悪(=ホモフォビア)を産み出していきました。と同時に、この同性愛排除のメカニズムが、少なくとも近代社会においては異性愛VS同性愛という図式化、二元化をもたらし、異性愛結婚により女性を「家」という空間に閉じ込め男社会の外へ、私的領域へと排除してゆく結果につながりました。 つまり、「キャーあの人ホモです!」と叫ぶことによって、自分にやましい考えがないことをアピールする。同性愛という「異質」を設定し迫害することで、「そうではない我々」の結束力を高める。そこで「男性」に対する「女性」という意識が強まり、女性には女性らしさが求められるようになった、というわけです。 もっと詳しく見ていきましょう。 この時代、同性愛が行われる場としては、地域共同体の枠内、特に直系親族二世代+奉公人からなる同一のハウスホールド内といった近接関係の中での同性愛が一般的だったようです(決して行きずりの関係ではない)。ベッドを共にする使用人同士の関係で強制的行為がいきすぎたときのみ裁判沙汰になったようですが、家長と使用人の関係の場合は家父長制により大目に見られていたそうです。教会の聖職者と教区の少年、床屋と隣人の息子、それから教師と生徒などの関係もありました。 都市における同性愛売春としては、街頭や公共の場所での「ちょっと、そこのおにーさん」といった売春だけではなく、男娼宿(男娼の置屋・・・男娼が客を接待できる居酒屋のような場所)もあったそうです。また、ある家に名目上は使用人として住み込んでいる若者が、家長と売春の含みをもつ関係を結んでいることもありました。こうした若者はギャミニード(ゼウスに気に入られた美少年ガニュメデスから)と呼ばれます。それから、ロンドンの劇場は役者とパトロンとの関係に限らず、男娼と男色者が現れる場であったようです。 Ganymede (ガニュメデス) 当時、同性愛は傲慢・過食・怠惰・貧者蔑視から生じると言われていましたが、当時の理屈からすると、ある意味で理にかなっているということができます。経済的、社会的な権力といった、その時代の力関係によって同性愛の関係は決定付けられていたのですね。 17世紀後半まで、都市での同性愛売春宿は、いわば公認されていました。しかし18世紀には激しい弾圧にあい、同性愛売春宿は非公認のサブカルチャー、地下に潜む存在となってゆきます。 同性愛に対する激しい非難の言説と、実際には同性愛が社会で広く行われていたという事実は、果たして矛盾しているのか? という問いに対し、アラン・ブレイはこう説明します。 「同性愛に対する深い恐怖・批判が一方にありながら、実体として同性愛慣行がもう一方に存在していた。両者は一見矛盾しているようだが、当時の人々は、神話や象徴としての同性愛と、身近で日常的に行われていた同性愛とを同一視せず、あえて分けて考えていたから矛盾にはならなかった」 これに対し、スティーブン・オーゲルはこう批判します。 「英国ルネサンスの文化は、男性の同性愛に対して、病的恐怖を抱いていたようには見えない。むしろ、青年男子が少年を愛することは、女性が男を愛することよりも本質的にのぞましいと考えていたふしがある。枠組みから言えば、同性愛はそれが反社会的で危険だと認知されるようなほかの行為(無神論、カトリシズム、暴徒扇動、魔女の妖術、義務違反など)と重なるとき、はじめて目に見えて批判されたのだ」 17世紀においては、厳密には「同性愛」という言葉は余り使われず、buggerやsodomiteという、より広い概念をもった語が使われていたようです。例えば、「売春婦、少年、そしてヤギを愛するbugger連中」、「男や動物に対するsodomite的な悪行」といった記述がされていたようです。同性愛は、こうした言葉(一言で言えば、淫蕩、でしょうか? )の意味のごく一部にすぎませんでした。これは「ソドム」や「リトル・ソドム」という名の女郎屋が存在した、ということからもわかると思います。 エリザベス、スチュアート朝イギリスにおいて同性愛は、「魔術師、sodomite、異教徒」、「ローマ教皇礼賛者、アンチ・クライスト(イギリス国教会から見た教皇)の従者、恐るべきスペイン国王の部下、そして男色者」といった文化的カテゴリに位置づけられていました。創造主や自然の秩序に反する、無秩序な性的関係、秩序を解体する危険性をはらんでいるもの一般と同列に扱われていたわけです。 こうしたものが強く弾圧された要因として、17世紀における「神の摂理」という考え方に触れておきましょう。これは一言で言えば「小宇宙と大宇宙は相互関係にある」という考え方、則ち「身の周りの出来事と天変地異は相互作用する」という考え方です。その典型的なモチーフが、「怒れる神の手によって『ソドミーでいっぱいの溜め池』であるソドムとゴモラの町に加えられた破滅の一撃」というイメージでした。これが「ソドミーを処罰しないとこの国に恐ろしい天罰を招くことになる」として、全体の秩序回復のためにソドミー個人を罰しよう、という意見に繋がっていきます。 つまり・・・ この時代の文化コードの中で、ソドミーは、いわば象徴として用いられることに意味があったのであって、同性愛に対する本質的な恐怖ではなかったようです。「神の摂理」によって厳しい罰が加わったと当時の人々が考えるとき、その理由と人々が考えるところのものは、同性愛単独ではありませんでした。むしろ同性愛は、数ある理由のうちの一つとして付け加えられるものにすぎませんでした。 まぁ、エリザベス女王の後継者、ジェームズ1世となったスコットランドのジェームズ6世はゲイだったわけですけど。しばしばジェームズ1世が宮殿で催すゲイ宴会を見かねた延身のひとりが「もう少し努力なさったら(臣民のための努力。もっと浮かれて大騒ぎをしろという意味ではないので、念のため)」と諌めたところ、この王様、「この野郎! ズボン脱いで、ケツを見せてやる!」とわめいたとか何とか。ちなみに「神の摂理(=providence)」、これはクロムウェルが演説でよく使用した言葉だそうです。 土地などで争いになった時に、「あいつはカトリックだ」とか「あいつは男色家だ」とか叫ぶことで、相手を死刑にすることもできたとかいう話です。いつ自分がそのようなことを言われて酷い目にあうかわからないため、お互いがカトリックや同性愛を摘発する立場として相互監視を行うシステムが出来上がっていきました。そうした相互不信の1つが同性愛嫌悪=ホモフォビアにつながり、同性愛売春宿の摘発、「女性」イメージの固定化に繋がったのです。 汚らわしいことをしていると、天罰が下るみたいですよ。 そこのお兄さんも気をつけて。 いより [参考文献]
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中世ヨーロッパ社会と同性愛
どうも、いよりです。 夏休みになりました。有意義な過ごし方をしたいです。 さて、前回(「ギリシア社会と同性愛」)から結構な間が空いてしまいましたが・・・。 今回は「中世ヨーロッパ社会と同性愛」について、まとめてみたいと思います。 <古代から中世にかけて> ローマ帝政初期においては、売春というものは男女ともかなり複雑に発展しており、性別、年齢、性交時の役割などによってそれぞれ異なった言葉があるくらいでした。衣服の色と種類によって、受け手(catamiti)と仕手(exoleti)がわかるようになっていました。 ローマ帝国初代皇帝のアウグストゥスが、売春を生業とする少年の為に法定休日を与えた、という史料があります。また、五賢帝の1人であるハドリアヌスにはアンティノオスというギリシア人の恋人がいた(ちなみにハドリアヌスが「受け」)という資料もあります。前回触れたように、古代においては身分の高い人が同性愛の「受け手」となることは悪だと看做されていました。カエサルもビテュニア(小アジア北部の国)の王ニコメデスとの男色関係(カエサルが「受け」)でかなり評判を落としたと言われます。しかしローマ帝政初期のこの偏見は同性愛の受け手であることを自他ともに認める皇帝らが輩出した結果、下火になりました。 アウグストゥス帝 ハドリアヌス(左)とアンティノオス(右) ローマ帝政末期の危機において、政権中枢がガリアなどの属州出身の軍人・貴族に取って代わられ、神権的専制政治(絶対化)がすすむにつれて、中央による個人の私的生活側面への介入・干渉が目立つようになりました。390年のテオドシウス法典で初めて男性に売春を強要した場合は死罪、と規定されます。また世間の風潮もゲイ否定の方向へすすみます。 「ローマ都市社会の解体・より狭量な政治的・倫理的指導者層による支配が、性的自由の制限をもたらした原因であるということができる。そのローマを超えて唯一生き残った組織であるキリスト教は、一部の神学者を通して、この後期ローマ帝国のかなり偏狭な道徳観をヨーロッパに伝えるパイプになったにすぎない」と言ったのは、本人もゲイであるジョン・ボズウェルという学者です。 同性愛に対する人々の態度にキリスト教が及ぼした影響は、少なくとも中世初期においては大きくありませんでした。旧約聖書の創世記に見られるソドムの市の破壊とソドミーとの関連性を検討すると、古くさかのぼるほど、同性愛的行為の流行が神の怒りに触れたのだとする見方はとられなくなるようです。初期キリスト教禁欲主義者たち(パイプになった人たち)がその解釈を変えていったのです。 西ゴート王国(スペイン)は650年に同性愛行為を行う者に去勢を課す法を制定しましたが、当初教会はその試みに非協力的だったようです。6世紀前半の『ベネディクトス会則』(聖ベネディクトスが定めた修道規則)は、むしろ同性愛行為が教会で広まっていた事実の裏返しとして読むことができます・・・曰く、「若者同士が一つのベッドで寝るときには、間に年長者が寝ること」「夜は明かりをつけて寝ること」「寝るときには服を着て寝ること」などなど。 11世紀から12世紀、都市の復活とルネサンスによってイスラムを通じ古代の学問が流入、同性愛への寛容が強まり同性愛文学が開花します。この時代、聖職者間の同性愛を声高に批難した聖職者が教皇から「そんなに目くじらたてるようなことでもないですよ」、とやんわりたしなめられていたり、修道院の院長が修道院内での男性間の愛を正統化しようとしたりしています。 また、この時代は世俗でも同性愛者の例が多いです。例えばリチャード王1世は十字軍以前にフランス王フィリップ2世と食事もベッドも共にしたと言われます。 1178年の第三回ラテラノ公会議では、金貸し、異教徒、ユダヤ人、ムスリムと並んで同性愛者への制裁が初めて定められました。十字軍活動によってかきたてられたイスラム的な性の慣習(とヨーロッパ人が決めつけたもの)への反発が、同性愛への敵意とすりかわっていったようです。このような状況から、次第に同性愛VS異性愛という論争が出現しはじめます。ローマ=カトリックのみならず、ギリシア正教においても同性愛は獣姦と同じ類として看做されるようになります。 特に13世紀以降、ヨーロッパ社会では社会の少数派・弱者(異教徒、異端、ユダヤ人など)にレッテルを貼る動きが出てきます。同性愛者もその攻撃の対象となりました。フランスの地方慣習法、カスティリヤ王国の法、イタリア都市法などで同性愛取り締まりの法令化がすすみました。「市民のプライベートな生活をも次第に規制しようとする実質的な権力を持った『国家』の出現がその原因である」とボズウェルは述べています。 14世紀初め、ダンテは「神曲」のにおいて、ソドミーを煉獄の最上部、色欲におぼれた人々とともに位置させています。時代の空気は、確実に変化していったのでした。 同性愛に対する弾圧は12世紀後半から始まり、13・14世紀を通じて定着しました。その後、同性愛はヨーロッパ社会最大のタブーとなったのです。 ところで・・・ ギリシア・ローマの文化を自らの母体とあがめた西ヨーロッパ人は、これらの時代の同性愛への寛容さだけは受け継ぐことがありませんでした。この極めて意図的な選択はどのようにして起きたのか? ・・・答えは未だ不明だそうです。 そんなこんなで。 いより ー参考文献ー キリスト教と同性愛―1~14世紀西欧のゲイ・ピープル(ジョン・ボズウェル)
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勉強しようぜ
哲学・倫理学のレポート。 主に仏教をテーマとした講義の内容要約と、それに対する意見です。 <授業内容要約> 我々が何かを考える時には、その前提として必ず「形而上学」が存在する。 「形而上学」とは、特定の文化圏に生きる人々の物の見方、世界認識、知の在り方などを根底において規定する基本的枠組みのことである。つまりは、ある特定の時代・地域における「思想」や「哲学」のことである。そして、この「形而上学」は、その文化圏の伝統に基づいている。 西洋では、プラトンやデカルトに代表されるような「魂=精神=主体」と「身体=物質=客体」の二元論が伝統となり、その「形而上学」を形成している。また、やはりプラトンやデカルト、そしてカントが主張した「『常に』正しい」「『常に』良い」ものが存在するという考え方、則ち普遍的なものがあるという考え方も、西洋の伝統となってその「形而上学」へと反映されている。このような思想は、一神教であるキリスト教とも関連が深い。 ところで、このような「形而上学」というものが存在しているということを発見したのは、ハイデガーであった。自分たちの「形而上学」を、「哲学」や「倫理学」として解体していくという発想は、自分たちが存在するもの全体のうちにいながらその全体を見渡すことのできる特別な位置に立つことができると思う事ができるような特殊な場所、すなわち西洋でなければ存在し得なかった。そして、このような西洋の特殊性は他者をモノとして見る視点を西洋に許し、資本主義、帝国主義の台頭を招くことになった。 一方、日本では、自然なもの、ありのままのものを尊ぶということが伝統になっている。これはフロイスの「ヨーロッパ文化と日本文化」から読み取れる。 また、柳田国男の「先祖の話」に見られるように、死んだ先祖の霊が永久に国土のうちに留まり、そう遠方へは行ってしまわないという伝統的な考えもある。これは念仏供養の功徳により必ず極楽浄土へ行くという仏教の教えと一見反しているように思える。しかし、仏教が一神教の宗教と違い一律の教義を持たず、苦しみからの解放という目的は共通であるものの救いを求める人々それぞれの悩みに応じて説き方を変えてゆく教えであるということを考えると、日本の伝統に即した形で仏教が変化したと考えても矛盾は生じない。 日本は列強のアジア進出に対抗するため鎖国を廃止し、明治維新により積極的に西洋の「知識」や「技術」を取り入れ、学校教育で国民にその「知識」や「技術」を習得させた。 ところで、そもそも学問とは何だろうか。それは、「自分にとって切実な問い」のことである。「自分にとって切実な問い」 とは、自身に伝統的に規定された認識的枠組み、則ち自身の「形而上学」の中から生まれた問いのことである。つまり、何かを考えるとき無意識的に使う「思想」や「哲学」の枠組みの中で疑問に思うこと、これが特定の時代・地域の伝統を最先端で受け継いでいる「自分」にとっての「切実な問い」なのである。 日本が明治維新で取り入れた「知識」や「技術」は、西洋の「形而上学」における「切実な問い」から生み出されたものであった。日本人は西洋の「思想」や「哲学」を「知識」という形で受容はしたが、自身に伝統的に規定されている「形而上学」を変化させることはしなかった。つまり、日本人は、普段は自身の「形而上学」に基づいて生活するにも拘らず、西洋の「思想」や「哲学」の「知識」を学習する時にのみ西洋の「形而上学」を用いて思考したのである。 日本人が 西洋の「形而上学」を自己のものとせぬまま、その「切実な問い」から生み出された「知識」や「技術」といったものだけを真似することは、西洋人からすれば虚栄のみならず、不遜に思われた。 結局のところ、西洋的な「思想」や「哲学」が切実に問題とすること、例えば「人間の意識(精神)と身体(物質)はどのようにして相互作用し合っているのか」「主体(精神)は自らの外部にあるもの(物質)をどのように認識するのか」「主体(精神)は自分の身体を完全に制御することができるのか」「物質である身体に、どのようにして精神が宿るのか」などといった問いは日本人にとって完全には「切実な問い」とならなかったのである。この矛盾が、現代の医療現場における臓器移植、安楽死に拘る様々な倫理的問題として現れている。 さて、日本では和辻哲郎が、西洋がその哲学・倫理学により資本主義・帝国主義に陥っていったという事実から新たな倫理の必要性を感じ、単なる西洋の知識の輸入ではない独自の倫理学を打ち立てた。彼によれば、我々はそれぞれ知的・風土的な特殊性の中に存在するが故に、それぞれ異なった伝統・思想を持つ。従って、例えば、プラトンやデカルトの伝統に支えられた、西洋人の「人間は神の目を持っているかのごとく普遍的な認識ができる」という思想は、日本においては「形而上学」たりえないのである。故に「普遍的道徳」は、ある「形而上学」を伝統的に共有する特定の歴史的・風土的な集団、則ち国民の間においてしか「普遍的」たりえない。 和辻はこのような様々な歴史的・風土的に規定された集団が存在する、という考え方を、大乗仏教の僧ナーガルジュナの言葉を用い「空」と表現した。ナーガルジュナの「空」とは、すべての事物は因縁によってできた仮の姿で、固定的な不変の実体を持たないという意味である。具体的な人格である個人も、親子、夫婦、村、国などといった共同体の中に存在しているという意味で、人間は個であると同時に集団だ。そして個人の思惟は、彼の所属する特定の歴史的・風土的に規定された集団を通じてしかその意志、行為を規定することができない。故に、個人は固定的な不変の自我を持つものではないと言える。個人にとって、その所属している集団が個人を個人たらしめているのである。従って道徳 とは、個人が自分を個人たらしめる地盤、則ち集団の全体性を意識し、それに従うことである。 和辻の基本的なスタンスとして、西洋の「形而上学」を学んだ上で改めて日本を振り返る、ということがある。こうすることにより、日本の伝統によって生み出された日本思想を、彼の言う「空」の視点で客観的に論じることができる。 和辻の理想は、人類の精神的世界の統合、そして過去数千年来の人類の「形而上学」が弁証法的に発展し人類全体に生かされることであった。これこそが和辻の「人間としての倫理学」である。これを実現するのが、儒教及び仏教が根強く残る文化圏に生き、かつ西洋の学問に通じている日本人なのである。 ただ、この和辻の考え方は、先述したような意味で「切実ではない」と批判される他、和辻の「空」はもともと相手のレヴェルに合わせて異なった教え・実践法を教えるという対機説法である仏教を「普遍が個別に現れる教え」という宗教であると文献的に理解したものであり、ナーガルジュナの「空」とは異なると批判されることもある。また、そもそも和辻の「人間の学」は天皇制に基づく全体主義を強調するなど国家の倫理学である、という批判もある。 <意見> 私は「伝統が思想になる」ということ自体が、特定の歴史的・風土的な集団においてしか有り得ない、と考える。 和辻が生きたような時代においては、まだ他地域との交流は今ほど活発ではなく、ましてやインターネットを通じた国際的・即時的な情報伝達など考えられなかったことだろう。そのような時代においては、確かに地方ごとの伝統的な価値観が強く、思想もそれに基づいたものにならざるを得なかったことだろうと考えられる。 しかし第二次世界大戦後から高度経済成長期を経て、日本社会は従来のような家族制度を失い、また冷戦終了後は全世界的に押し寄せたグローバル化や新自由主義の波によって国家という枠組みも強固なものではなくなった。このように集団への依存度合いを低めた人々は、個人として自由に行動できるようになった。したがって、「形而上学」は集団に1つといったものではなく、集団を構成する個人それぞれが個々別々に持つものへと細分化したと考えるのが妥当ではあるまいか。 確かに、自然なものを尊ぶ日本の「形而上学」は、現在も生命倫理の場における「臓器移植は不自然ではないか、提供者はあの世で不自由するのではないか」というような議論などにも残っている。しかし、これが議論になるということ自体、則ちこれに対抗する考え方も成立しているということ自体が、逆に国民道徳としての日本の「形而上学」が崩壊しているということを表していると考えられる。 「形而上学」がバラバラになってしまった今、和辻の唱えた「人間としての倫理学」は、もはや望みうるべくもないのだろうか。私は、それは違うと考える。 人類にとって最も切実な問い。それは「自分は何の為に生きているのか」ではないだろうか。私は、人間は学ぶ為に生きている、と考えている。人間の生きる意味について、それこそギリシャ時代より現在まで数多くの思想家が様々に議論を交わしてきた。中には釈迦、ショーペンハウエル、ニーチェのように「生きる事は苦である」、「生きる意味などわからない」と言う思想家もいた。 私も、今現在、私が生きている真の意味はわからない。こう書くと、先に述べた「人間は学ぶ為に生きている」ということと矛盾しているように思われるかも知れない。「意味があるのかわからないから勉強などしない」というのは子供がよく使う怠学の口実であるが、私は勉強の意義は正にその「意味があるのかわからない」というところにあると考える。 当たり前のことながら、今日、ありとあらゆる研究機関において行われている最先端の研究は、すべて過去に由来するものである。我々は、既に持っている知識と新たな経験により、帰納法的ないし弁証法的に知識を増してゆく。また、我々は言語や文字、印刷やインターネット等の技術の利用により、自分一人では得る事ができない知識・自分の生きている時代や場所だけでは得る事ができない知識も得ることができる。 ここで明確に推測されることは、人類史の頁数が増すほど、人類が持つ知識も多くなるだろうということである。つまり、人類全体としては昨日より明日の方が様々な知識を持っていると予測される。そしてグローバル化の波にのって、これらの知識は、単に地球上にあるだけではなく、人類皆が共有するものになってゆくと考えられる。 ところで、「知らない方が良かった」ということは知った後でしか考えられない、というのは当たり前のことである。知らないことについては考えられないからだ。同様に、人類の生きる意味に関しても「意味は無い」と言い切れるとすればそれは人類が全宇宙の法を把握し神となって後にそれが判明した場合、あるいは全人類が神となるより前に滅亡するまさにその瞬間に人類最後の人間がそう思った場合のみである。 我々が勉強する意味というのは、この「まだ知らないことがある」という一点に尽きる。私のこの考え方が正しいのか、正しくないのかすらも、人類が神となる、あるいは滅亡するという究極の時までは判断できない。しかし、神となるため、出来るだけ神に近づく為に、我々は勉強するべきであるということだけは確実だ。例えその結果として導きだされそうな答えがどうしようもない否定に思えたとしても、まだ知らないことがある以上、必ずしもそうなるとは限らないのだから。 昨日より明日の方が我々はより幅広い知識を持っているだろうということは、既に述べた。つまり1秒でも「今現在」に近い時点で生み出された知識の方が、過去の知識に新たな経験が加わった、過去の知識を数段階止揚して生み出された合であるという意味で、知識としてより洗練されたものである。故に、ある時点から一番近しい過去に生み出され広まった知識は、それが人類史上最高である保証は全くないが、少なくともその時点における最高の、最も神に近い知識であると私は考える。 地動説について考えてみよう。かつて、人々は伝統的な信仰に基づき、太陽が地球の回りを巡っているということを当然のように考えていた。しかし現在、それは科学的に否定され、一般的には地球が太陽の回りを巡っているということが正しいとされている。現代に生きる我々は、その意味で、中世の人間よりも神に近しい存在なのである。例え、地動説が誤っていたとしても、則ち本当の本当は天が地球の回りを巡っていたのだとしても、我々が現在このような知識に基づきこのような知識を持っていたという知識は、未来の、より神に近い人々の知識の中に吸収されてゆくことであろう。 我々の問いに対する回答の選択肢は、人類史の頁数とともに増え続ける。そのうちのどれが正しいのかは、結局、先に述べたような究極の時までわからない。我々は知っていることについてしか考えられない以上、知っている選択肢、それには「わからない」という選択肢も含まれるが、この中からしか答えを選ぶことができない。人類が神になるのを待たずして全滅してしまう場合には、人類が持っている選択肢の中に、則ち人類最後の人間の知識の中に、正答が存在していないということも有り得るのだ。その場合の正答は、もしいるとすれば、神のみぞ知る。 このように、持っている知識が増えれば増えるほど、人類は神に近づくと考えられる。そして我々としては、知らないことがある以上、神に近づくことが最大の目的である。そういった意味で、究極の時とは、つまり最後の審判だ。我々は最後の審判に向けて、弛むことなく、知識の習得に努めなければならない。 昨日よりは今日が良い。今日よりは明日が良い。どれだけ現代社会が嫌な、汚れた、窮屈なものであったとしても、過去から繋がって存在している以上、今日という日は縄文時代より素晴らしい日として生まれてきたのである。我々は学ぶことにより、未来を築く方向性を探る。そうしてやってくる明日は、無条件に、今日よりも素晴らしい。 以上のことから、私は今人間がここに生きているのは、勉強によって過去を出来る限り学び、そして得た知識により未来を創造することを繰り返すことにより、人類全体の知識を神に至らしめることに貢献する為であると考えている。そして、この思想は必ずしも現在の分散した「形而上学」を全体主義的にまとめて画一化させるような暴力性を持たず、かつ、万人に共通な切実なテーマを考えさせるものとして、新たな「人間の学としての倫理学」たりえると考える。 … Continue reading
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都市と投資 ーver.2ー
先日、「都市と投資」というテーマで投資についてのレポートを書いてみました。 その後、他大の友人から講義資料を頂いたので(河馬さん本当に感謝です)、それも踏まえた上で大幅に修正し、環境学の小レポートに転用しようと思います。 転用というか・・・「都市」というのは人文地理学を学ぼうと思っている者にとっては永遠の課題であると思うので、様々な方面からの視点を加えて修正しつつ修正しつつ、常に自分の中に一定の語り方を持っておかなくてはならない。と、思います。 1950年代から現代にかけて、都市は拡大を続けている。都市化には労働力の集中やサービスの充実など、様々な利点がある。環境に関して言えば、輸送費の削減が最大のメリットとして挙げられる。しかし、高層化に伴い出現する都市キャノピー層、それにより引き起こされるヒートアイランド現象が電力需要を増加させることなどを考えると、一概に都市化が環境に良いとばかりは言えない。これからは「都市化」という現状を踏まえた上で、その問題点を精査し、新たな都市構造を立案・具現化してゆくことが必要となってくる。 まず我々が注目しなくてはならないのは、ベルグとクラッセンの発展段階モデルに沿った都市の発展と、それに伴う郊外の無秩序な拡大である。再開発により近年ようやく再都市化のきざしが見え始めてきた東京は、1950年代から1990年代前半にかけて郊外化→反都市化という段階を経てきた。このことはインナーシティ問題やスプロール現象・ドーナツ化現象の発生を意味し、それらの問題は現代における都市ー郊外といった職住分離構造の大本となっている。このような構造は、通勤・通学などに多くのエネルギーを要するという欠点を持つ。これでは、輸送コスト削減という都市化のメリットが十分に活かされない。 次に、これまでの政策が都市と環境に与えてきた影響に着目する。政府は不況対策として、道路建設や固定資産の減税による持ち家の推奨を行ってきた。これは郊外化を押し進めること、すなわち環境破壊の拡大に繋がった。 以上のような点をふまえ、これからの都市政策について考察する。都市化自体が悪なのではない。初めに述べたように、都市化には都市化ならではのメリットも多く存在する。問題は、無秩序な郊外の拡大による職住分離、それによる移動エネルギーの無駄である。このようなエネルギーの無駄使いは結果的に、環境破壊に繋がる。従って、都市化の利点を活かしつつ環境破壊を防ぐため、郊外から都心部に人が集まるようにし、かつヒートアイランド現象が起こらないようにする政策が必要だ。現在行われている都心再開発は、バブル崩壊による地価下落による。また、都心部における急激な人口増加は保育所の不足などの問題を引き起こしている。行政は、都心の地価が上昇しすぎて家が借りにくくならないよう、またサービスの不行き届きが出ないようにするよう、投資を行っていくことにより、都心部に人口を集中させることができる。また、道路開発の裏でないがしろにされてきた公共交通への投資や公共の建物のエコ化への投資、新エネルギーへの投資、風通しを考慮した区画整理への投資などを行い、集住により発生する環境への負荷をなるべく減らすようにする。このようにして、都市化のメリットを活かしながらエコを実現させ、更には不況対策まで行うことができる。そして景気回復の度合いに応じ、技術の革新・普及への投資やエコ企業を推奨するための投資、エコ消費者を育成するための投資へと発展させてゆく。都市を持続的なエコシティとして再構築することが、21世紀を生きる我々には求められているのである。 地理学は、究極的には都市設計。世界設計。人類が幸せに生きる為のシステム設計。そういったものに繋がると、信じています。 いより 追記: ちょっとだけ修正しました(7/9)。 自家用車乗り入れ禁止とかコンジェスチョン・チャージについても触れたかったんですけど、どうも文脈的にうまく入らなかったです(投資じゃないし、経済的には寧ろマイナスっぽい感じがするし)・・・。
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「いじめの社会理論」内藤朝雄(柏書房)
蒸し暑い日が続きますね。皆さま、いかが御過ごしでしょうか? このブログの(一応)メインコンテンツであるにも拘らず、かなり暫くぶりなブックレビューです。今回はこちら。 「いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体」内藤朝雄(柏書房) ・・・教職のレポートの課題図書だったのですが、何というか、これがまた面白くない。余り批判するのも好きじゃなんですけどね。 全体的に漂う厨二病臭といい(いじめの筋書には3通りあり、それぞれ「全能の主人と完全にいいなりになる奴卑」「全能の破壊神と崩れ落ちる屠物」「全能の遊戯神と変形する玩具」である、とか。どうしてこの3パターンに分類されたのかもよくわかりませんが)、自分の考え方が無条件に正しくて他の論は間違っている的な記述(例えば、いじめ論でよく争点になるのが「いじめられる方が悪い」だと思うのですが、それは最初から間違っていると決めつけられている・・・何か一言くらいは触れておくべきでは)が多々見られたりとか、「いじめは学校における話だけではない、市民社会でもいじめは起きる」と前置きしながら「学校の倫理と市民社会の倫理は違う、だからいじめが起こる」など「学校という特殊な場」においていじめが発生するメカニズムについて論じ、ずっと学校の話が続いたかと思いきや突然DVの話に変わり、最後に理想的な学校制度の話になるとか。何これ? 「いじめはどんな社会にもある。絶対になくならない」と言いつつ「いじめの発生しない学校」を描いている点も非常にナンセンス。 筆者の理想的な学校制度は、学校に行くことが強制されず(ここまではまだ良い)、義務教育の「義務」が次の3つに限定されているそうです。 1. 「生活の基盤を維持するのに必要な日本語」、「お金をつかって生活するのに必要な算数」、「身を保つために必要な法律と公的機関の利用法」の3つに内容が限定され、これらの知識を習得しているかどうかをチェックする国家試験を子どもに受けさせる保護者の義務 2. 国家試験に落ち続けた場合には、教育チケットを消化させる保護者の義務 3. 国が国家試験を行い、またさまざまな学習サポート団体や教材を利用するためのチケットを国や地方公共団体が人々に配る義務 教育チケットとは教育のみに利用できる特殊貨幣で、義務教育用は国家試験に受かるまで無制限に与えられ、権利教育用は収入に対して反比例的に行政から配分されるものだそうです。 他にも色々とあって、とても全部を書き写す気がしないのですが、とりあえず思うのが「これどうやって実現するの?」。いや、確かに「学校に縛り付けられない、仲良しを強制されない」のは大事だとは思いますけど、あまりにもファンタジーすぎる。これまで経済の話とかしてたか? 思いつきで喋ってないか? それに、いくら学生のうちに集団に縛り付けられないようにしたからって、一生嫌いな人と付き合わなくて良いわけでもないですしね。「いじめられて良かった」まで言いませんけど、やっぱり学校嫌だって言っている中で学んだものって何かあったと思いますけどね、私は。 「義務教育がこれだけで良い」根拠も、少なくとも私には理解できない。勉強する気が無い人間が、授業を自由に選択できるようになったからって学習意欲が上がらないのは、大学生を見ていたらわかりますよねー。 学歴重視をやめて技能系の資格を得、有利な条件で職につくシステムってのもここで初めて出てくるし。これ、いじめと何か関係あるの? むむむ・・・。 どうにも、どうにもなぁ。 「いじめ」という曖昧な話ですから、数学みたいにパキっと証明がなされないのも仕方ないとは思うのですけど、「これはこういう仕組みなんだ。ほら、事例に当てはまるだろう」だけだと、ちょっと何か納得するには物足りないですよね。 よーわからん本でした、はい。 いより
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